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船上山 クライミング  -鳥取県-

「松江アルペンクラブ」は、誰でも気軽に入会でき、安全に、楽しく、安く、登山やハイキングを 楽しむことができるように!を合言葉に、1974年に創立した山岳会です。 会員数は約40名で 幅広い年齢層で構成されています。月1回以上の会山行を計画し、ハイキング、岩、沢、縦走、 冬山フリークライミング、海外遠征までオールラウンドな山行を行っています。海外は、ヨーロ ッパアルプス、ヒマラヤ、アフリカ、アンデスなどに足跡を残しました。

山行計画、山行報告などを載せた会報は、月1回会員宛に送っています。また、松江アルペンクラブは日本勤労者山岳連盟に加盟し、山岳保険、遭難対策等、万全を期しています。

入会希望の方は「お問い合わせ(入会希望等)」のページを利用してご連絡ください。また、当HPを見て興味を持たれた方もいつでもお問い合わせください。

松江アルペンクラブ 会長 野村恭一

松江アルペンクラブの歴史について 

松江アルペンクラブ創設時の思い出 (執筆者H.M)

昨年当会は創立50周年を迎えた。当初からの会員は私とSさんのみとなった。年を取りすぎて、長く山行にも参加しておらず名誉会員的存在となっている。いつまで会員でおられるかわからないので創立当時のことを思い出して書いてみることにした。

50年前は皆さん何歳だったでしょうか。私は20代後半で、単独で近くの山へ登っていた当時松江にはOさんという方が会長の「松江山の会」とほかに2つの山岳会があったが、縁あって米子勤労者山岳会(米子労山)入会した。そして米子労山松江支部として活動を始めた。当時の米子労山の会員名簿を見ると15名の名がある。

当時は正月合宿で大山に行にも国鉄で米子まで行きバスで大山寺まで行った。下山キャンプ場にテントを張り、大山に登り縦走し、テントの周りで雪を踏み固めスノーソーで切り出してエスキモーのイグルーを作ってそこに泊ったりして楽しかった。

山の道具屋「米子山荘」を開店させたM氏やそうそうたるメンバーに基礎知識を教えてもらった時代であった。

松江支部も会員が17名となり、独立しようということに話がまとまり1974年11月17日県民会館で設立総会を開催した。

松江勤労者山岳会としたのは、米子労山からの流れでもあるが、官製の日本山岳協会(日山協)とは違う自主的・民主的な登山運動として活動している日本勤労者山岳連盟の運動に参加するためであった。

(最近は創立当時の理念である「設立趣意書」なるものを皆さんはしらないと思う。)

(1983年の総会において現在の「松江アルペンクラブ」に改称した。)

翌11月18日に「事務局ニュースNO1」を発行した。現在の637号と毎月かけることなく発行されていることは我々の継続した活動の賜物である。号数が多いのは、創立当初は月2回発行していたからだ。(月上旬に先月の発動報告、月末に翌月の活動計画を手書きでB41枚のニュースだった。)当時はコピー用箋に鉛筆で書き、青焼きコピー(アンモニア)だった。封筒の宛名はガリ版印刷したりと苦労した。ガリ版印刷は、鉄筆で用紙に原稿を書き謄写版に貼り付け、1枚1枚ローラーで印刷する作業であった。

 併せて機関誌「こまくさ」を不定期に発刊した。「ニュース」とは違い山行報告、思い出、会員紹介等を内容としていた。第1号の表紙は木版2色刷り、B4でガリ版印刷をしてB5に折り製本して発送した。さすがに大変なので20数号で廃刊となった。

私は「ニュース」「こまくさ」の創刊号から現在までの号をほぼ整理保管しているが、誰かに引き継いでもらい、みんなに閲覧できるようになれば幸いである。

創立当初私は副会長、Sさんが会計、そして事務局長はOだった。 私事だが、Oは私の妻である。米子労山時代から共に山に登り、会創立2年後に結婚した。山友の結婚第1号で、以降数組の結婚があった。(みんな若かった時代で、30代以降はほとんどいなかった。)3人の子供には「岳志」「直登」「渓太」と山に因む名をつけ、富士山や北アルプスにも何度か連れて行った。

子供も大きくなり、家族連れで山に登れる優しい会を創ろうと考え、会員有志を募り、1982年に分離独立して「松江ハイキングクラブ」(M・H・C)を立ち上げた。以後M・H・Cの活動に重点を置いたので名前だけの会員になってしまった。しかし、現在でも夫婦で北アルプス等々に登り続けている。(M・H・C会員として) これからも体力が続く限り山を楽しみたいと思っている。「松江ハイキングクラブ」とは兄弟関係にあることは新しい会員の方はあまり認識があまりないと思うが、山で出会ったら声を掛けましょう。

昔のことを長々書きましたが、苦労の一端を知っていただき50年続いたこの会をさらに発展させ楽しい山の思い出を作るために多くの会員が何らかの形で会の運営に参画してもらいたいと思います。